休職中に大切にしてほしいこと

前回はずらずらっと家庭環境をお話しさせていただきました。

鬱になるきっかけの原体験という意味では
何かしら皆さんにも通ずるところがあるのかなと思います。

具体的にいうと破滅的思考を持っているという点です。

家庭環境のせいにするな

これも1つの見方であり意見だと思います。
ですが、要因としては根っこにある考え方によって行動が分岐していくと考えています。

なので、必ずしも直結してるとは言い切れませんがそれが原因の大きな要素のひとつであるため、
ストレス過多になると爆発してしまいます。

じゃあそれを改善していく、自分の考え方とうまく折り合いをつけていくためにはどうしたらいいかを
今回はお話ししたいと思います。


今はクリニックを訳あって違う場所で通院していますが、以前通っていたクリニックではグループワークというプログラムがありました。

前提として、なのですが一定期間お医者様と話をして薬が効果的になってくると、社会復帰のため今までの考え方や行動だとまた同じ結果を生んでしまうためどうしたらいいか?
を考えるためにプログラムがあります。
それが、臨床心理士の方にざっくばらんに話をするまたはグループワークというものがクリニックによってはあります。これは絶対にあるものではなく、
またこれは保険適用外になるので実費になるところが欠点になります。

※クリニックによっては心理士さんとのカウンセリングは保険適用になるところもあるみたいです。
詳しくは問い合わせてみると教えてもらえます。

私はグループワークを受けることにしました。

そこではどんな考え方に改善したら良いのか
コミュニケーションの取り方やストレスをためないためにどうしたらいいのかのhow toを知ることができました。

一見、抽象的なのですがグループワークというだけあってその人それぞれの課題感を共有してどんな解決策があるかを心理士さん交えて考えたり教えてもらったりできます。

そのなかでも一貫しておっしゃられていたことがひとつあります。

自分だけは自分の味方でいること

たったこれだけ?と思うかもしれませんが結構大事なことだったりします。
鬱になるきっかけは様々あると思いますが、
グループワークを通じて皆さんのお話をちょっとだけ教えてもらった時に感じたのが
自責主義の方が多く、内省する以上に自分を厳しく律しようとする方が多かったです。

これの何がいけないのかといいますと、
自分を必要以上に責めると自己否定な表現を当たり前のように使いがちになり、自己評価が他己評価と大巾な解離が生じるようになります。
すると、自分のなかで目標ハードルを超えるために一生懸命になりハードルを超えてもさらに高いハードルを設定してキリがなくなってしまい心の疲弊に繋がります。
そしてそのハードルを超えられなくなるとこんな自分はダメだと思うようになりネガティブループから脱け出せなくなるという結果になります。

なので、私も慣れていかなければいけないのですが、今辛くてたまらない人に言いたいです。

自分を認めてあげてください。
毎日生きてるってだけでも凄いと自分を褒めてください。

まずは当たり前と思っていることを書き出して当たり前のハードルを低くしてみてください。

例えば、歯磨きをしたら自分の好きな事に熱中しても良いと思えるくらいのハードルです。

鬱の度合いが強めの方は日差しをカーテン越しにでも感じられるようになったら感じられる自分を褒めてあげるでもいいです。
これってすごいことなんです。

ちゃんと前を向こうと少しずつ行動できている証拠なのです。

偉そうに聞こえたら申し訳ないです。
ただ、消えたいくらい辛いと思っている方がいたら自分だけは自分の味方でいてあげてください。

snsなんか見なくたって生きていけます。
癖になってるのを少し抑えられればいいんです。

私は上記のように低いハードルでも超えられたら声に出して自分を褒めるようにしてます。

ちょっぴり自分に甘いくらいが余裕に繋がって少しだけ気持ちを上向きにさせられるんだなと感じています。
なので、騙されたと思ってやってみてください。

少しだけ違う見方ができるようになるかもしれないです。

私の家庭環境

最初の頃は割りと普通だったのかなと思っていましたが、色々なゴタゴタがあったときに明らかになってきた時、私はギャグにしたいのにしきれなくなってしまっている状態になっていました。

両親の結婚は反対されて半ば駆け落ちみたいな形だったそうです。
その頃は順調にいっていたのかと思いきや
その頃の話を父が母に関して

養ってもらっているという感覚がない人だった
パートでも良いからやるべきだった

と話しているのを聞いて
家事もなーんにもやらない、やろうとしないできない人が偉そうに話しているのを聞いて赤子もいるのに家事も全部やれって違うと思うな
と思ったことがありました。

細かく書く事は避けますが、

父親は亭主関白そのものでした。
父親が家にいるときは気を遣う存在で、
スーパーに出掛けるときも可愛らしくおねだりなんかしません。買ってくださってありがとうございます感をちゃんと表現しないといけませんでした。
機嫌を損ねやすいからです。

会話も大学で独り暮らしになる前までほぼありませんでした。
向こうから話しかけてくることもなく
ただひたすら仕事を頑張って家では俺のお金で生活できてるんだと思え感を強くだす
そんな昔ながらの頑固親父といえば聞こえは良いですが何を考えてるのかわからない人でした。

仕事人間だったため大型連休で家族皆で遊びにいったという思い出は小学生の中学年くらいまではありました(年1でディズニーいくかいかないか)がそれ以降はほぼなかったです。
いくとしてもお互いの実家に挨拶しにいく程度でした。

残念なもので良い思い出もあったのかもしれませんが此方が気を遣って話しかけても会話になることはなく、母親の過剰な教育という名の体罰をしているときも助けを求めるように目線を合わせていたのですが無視されたことが何度もありました。
その時、このいえには誰も味方がいないと心が不安定になり毎日布団の中で声を圧し殺して泣いていました。

体罰を受けていた理由は問題を間違えたからです。
母親は熱心な教育ママでした。
何度もつまづいてしまうと苛立ちを隠さず、一問ミスをするごとにテーブルの角に私の頭を鷲掴みにして打ち付けるのです。

恐怖から間違えることはないだろうと思っていたのだろうと推測だけはできます。

ですがいくら怖くとも教えてくれる人が教える側にとってわかりやすく解説ができないのにどうミスを減らせというのでしょう?

これは小学生になる前からあった、習慣でした。

なので先生がいない時に代わりに誰にも聞けない環境で勉強をしなければいけなかったのが辛かった記憶です。

その時にいつも言われる言葉がありました。

あなたのためを想ってやってるの。
理解がとても遅くて本当に馬鹿なのね。
こんなんで大人になったらどうするの?

大人になったら私を助けてね

こんなワードが当たり前のように殴られながら罵倒されながら言われていました。

早く大人にならなくちゃ

当時はそう思いながらとにかく反復練習を自主学習で行いました。

小学生で誰が好きなのなどと話に華をさかせているときも下らないと常々思っていました。

常に心の中では孤独と戦っていました。
周囲では一問ミスをするごとに罵声を浴びることもなくのびのびと遊ぶことがあなたたちの仕事だというような大人や先生がいたからです。

いえの教育とは違い、当たり前だと思っていたものが異常だと気付きギャップに苦しみました。

できて当然を通すための努力をしないといけない

そう思うと心の底から友達と呼べるものはいなくなりました。

中高生時分もずっとそうでした。

私は私らしく生きるのではなく恩を返さなければいけないと思って必死に勉強しました。

しかし、必ずしも努力が実るわけでもなく100点をとることができないことの方が多かったです。

母親に提出すると100点ではないので常に責められました。
なぜこんな問題が解けないのか。
本当にどうしようもない馬鹿なのか
なぜ勉強をしてるのに馬鹿なのか
大して可愛げもないのにどう社会に出られるのか

本当にいえに帰っても心の油断で殴られるか
罵声を浴びるかのどちらかで

勉強しながら家事もやるのが女の仕事

という感覚が強く、勉強をしていても家事をやっていないとまた説教の繰り返しでした。

何度も何度も帰りたくなさすぎて泣いた記憶があります。
そして、体調を崩しがちになりました。

異常なほど頻尿になり、食事もあまり喉を通らず
頑張って食べてもすぐにもどしてしまう。

唯一面倒をみてくれていた祖母もあの子は可哀想だからといって手を差しのべてくれるわけではありませんでした。

先生にも相談しようと切れはしに伝えたいことを書いて面談の時に話したいと思っていると書きましたがスルーされてしまいました。

当時は頼れる大人には相談しようと頑張って行動したつもりでしたが誰もちゃんと介入してくれることはありませんでした。

ちゃんと私でいることを認めてくれる存在がいなかったため大学にいくまで見た目も心もコンプレックスの塊でした。

つらつらと書いてしまいましたがこんな環境でした。
それでどうなったかというとドライに相手はどんな考え方をもっているのかを見定める事が得意になりました。
大人なんて宛にならない、早く自立するか死ぬしかないという0か100思考になりました。


勿論私以上に特殊な環境の方もいらっしゃいますでしょうし可哀想アピールをしたいだけのために書いてるわけではないです。

ただ、受けた側は忘れられない傷になってそれが完璧主義者を生み出してしまう可能性もあると知ってほしいという想いで受けた側目線で書かせていただきました。

休職その4

とにかく辛かったのが夜眠れないことでした。
最初は薬が合わず、飲んでも眠気が全然来ない
また1週間我慢しなければならないことが何度かあり自分にあう薬にまでたどり着くことが大変でした。

そして初期に処方されていた抗うつ薬も全く私に合いませんでした。

拒否反応が体にありました。

体がだるく常に眠気があるけれどもうたた寝できるほどにはならないという症状と吐き気です。
残念ながら食欲もないのでトイレで吐きたくても出てくるものがないので終わりがない状況もあったりしました。

集中力も散漫になり(副交感神経を強制的に高めるためなので仕方ないですが)、大好きな読書ができなくなりました。

これはショックでした。

気分転換になることをやってみてください
リラックスする練習です。

と、医者に言われて溜まりにたまっている本を手にとって好きなだけ読むことができると思っていました。

しかし、一行目を何度も何度も往復しても頭に入ってこないのです。

今まではさささっと読んで情報が頭のなかに入ってきてなんなら頭のなかで映画のようにシーンが浮かび上がったりしていたのが一切できないのです。

そこに恐怖を感じました。

今までできていたことが、好きなことでさえもできなくなっているというところがいよいよ自分は疲れきってるんだなと実感した1つの瞬間でした。

さらに夜も眠れないとなると悪いことしか考えられなくなります。
考え方が元々ポジティブではありませんでしたが
より悪い方向に考えがちになってしまうことです。

検索すると必ずホットラインが出てきます。
ですが、本当に追い詰められてる時って時間外なので対応はしてくれません。

相談所として冷静に意見を求めたいと思っても
ライン相談窓口で相談内容をやっとの思いで送ったとしても混み合ってるので返せないです。との自動返信が来るだけでした。

メールでどう方針をたてたらいいのかそういった相談用の行政の窓口に連絡したこともあります。

1週間以上経過して返ってきたのは

お医者様にご相談ください。

要約するとその内容でした。長々と書いてあったので親身に書いてくださったのかと思ったら私が書いた内容をコピペしてそういう気持ちを抱えてらっしゃるんですねとだけ付け加えられてるだけでお相手からしたら膨大にくる似たり寄ったりなメール内容に返してるだけなのかもしれませんが
私にとってはここまで思い詰めて相談できる家族がいない私にとっては勇気を出した行動のひとつだったのでかなり落ち込みました。

そして本当に相談できる場所って限られてくるんだなと体感しました。

夜はひたすら眠れないのでヒーリングミュージックを流してみたり、友人からもらったお土産のキャンドルに火をつけてゆらゆら揺れる炎をボーッと見つめるというようなネットに溢れてる眠気を誘う方法はやってみました。

しかし眠れることはなかったです。

そんな時に母親から怒濤の不在着信が着ます。

また相手をしなければならないのか。
いつになったら解放してくれるのか
うんざりしていました。

ショートメッセージにも
仕事終わったら連絡して
今日はそっちにいくようがあるんだけどご飯食べに行かない?
返事しろ
返事しないなら押し掛けるぞ

という内容が呟きのように着ていました。

勿論、母親に現状を話す筈もなく

準備をもって電話に出ることにしました。

いつものように下らない父親の悪口を延々と聞かされ、果ては親戚や自分の兄弟からも批判されている私かわいそう演説を聞かされ続けていました。

怪しまれないよう8時から電話して3時間ずっと相づちを打たずマシンガントークを聞いてました。

聞いてるふりをすればいいじゃんというかたもいるかもしれません。
ですが、小さな頃から言うことを聞かないと恐ろしい事が待っていると染み付いた体がそんなのらりくらりと対応できるわけもなく

しかし、寝不足からくる少しだけ気持ちのゆらぎがでてきたので自分自身が内省すべきところがあるんじゃないかと説教じみたことをしてしまいました。

すると、ワッと怒号が飛びます。

お前のためにどれだけお金をかけてやったと思っているんだ
恩を仇で返すつもりか
お前も敵なのか
ならば裁判にかけてやる

ではなんのために私を産んだんだ
言うことを聞いてもらいたいために産んだのか
老後面倒を見てほしいから産んだのか

長年積み重なっている言葉をグッとこらえ罵声を浴び続けます。

そのあと必ず
ごめんねぇ○○を想って話してるのよ
いつまで一人暮らししてるの帰ってきてよ寂しいから
最近○○くらいお金かかって大変なのよなんとかならない?

という起伏の変化が著しいなと思うくらいのテンションで話を続けます。

結局4時間喋り倒し
機嫌よくまたねーと電話が終わります。

私は電話がやっと終わったと思いベッドに転がりました。
社会人になってからは経済的に自立して働いてました。そして此方の都合などお構いなしに喋りたいときに電話を突然してきては出られない出ないと厳しい言葉で追い詰めます。

なぜこんな関係性なのか次では家庭内環境、幼少の頃からの話をしたいと思います。

休職その3

「まずは寝たいだけ寝る
体が動くようになったら気晴らしにお風呂にはいるそれを実践できるようになったら自分を褒めてあげてね」

医者から言われた最初の課題でした。

重い足を引きずりながら髪の毛もボサボサ
服装も適当、メイクなんかできもしない
マスクを付けて、足はふわふわしながら
頑張って週1で通っていました。

最初はなぜこうなったか
質問が具体的になり、今なぜこういう状況かを、
頭が大して回らない中で、
その場では最大限の言葉で話していました。

その時の口癖が
「私がいないと仕事が進まなくなってしまう」
「皆に迷惑をかけてしまってて申し訳ない」

本当に心の底から誰にも迷惑をかけたくないのに
こんなことになってしまって早く復帰したい

こんな気持ちが先行していてかたや
ベッドから起き上がれない
目が開かない
日差しをあまり浴びたくないからカーテン閉めっぱなし
ベッドの目の前のローテーブルにコップとペットボトルの水と、薬だけを置いてご飯食べてなくても時間ちょっとずれても飲んでまた横になる

というからだの状態でちぐはぐになっていました。

なんだか心と身体が分離しているな
どんどん離れてる気がするな

と思っていました。
でもベッドからロクに起き上がれない
けれども頭のなかでは謝罪で一杯でどうしようか
グルグル考えてしまって寝る時間帯に寝られず
朝方ようやくうとうとし始める

なんで生きているんだろう
息を吸って吐くという動作も辛い

迷惑をかけてしまったしもうダメだ
なんてダメなやつなんだ

眠れない深夜帯はずっとその事ばかり考えてました。

するとその内方法を検索するようになります。
しかし、どれをとっても迷惑がかかる
試しにやってみたこともありました。

苦しくて辛くて時間がかかってできませんでした。

その間にも同期やら上司から

「遊びならいけるよね?○○にいかない?」
「調子どうですか?フォローできてなくてごめん!けど仕事が大変だから戻ってきてよー!」

こんな感じの内容がきたりしてました。

遊ぶことってエネルギーを使うことだし
働けてないので給与も出ない(傷病手当てから保険料や公共料金、家賃と固定費を削られるとほぼ難しい)のでそんな時に遊ぶお金すらない

本当にどん底でした。
周囲の理解を促すエネルギーもなければそれを
かわすエネルギーさえもなかったです。

結果既読つけて数日後に返さなければと思い、
「○○さんすみませんでした。今はちょっと難しいですごめんね!」

「○○さん、お疲れ様です。そういっていただけるのは有り難いですが戻ってまたこうならないように治してからお力添えさせていただければと思います。」

こんな感じでやんわりと無理だよアピールをしてました。それが私ができる精一杯の拒否でした。

週一で外に出るタイミングで最低限の食料を買い、
それ以外は部屋でじっとしてました。

人によっては海外旅行やら遊びに熱中してストレス発散とかできる人もいるみたいです。
それをサボりと言うのは別問題だと思います。
その人がリラックスできる場所で忘れて楽しく過ごせるならそれにこしたことはないので良いことだと思っています。

私の場合は文字通り身体が言うことを聞かなくなり
エネルギーを必要としてたためそれが難しかったです。

少し回復した今はこんな状態になるまで
自分を追い込んではいけないということを
改めて思っております。

休職中その2

前回の続きです。

仕事にいかなくてもいい、だから体はすぐ回復するから挽回しなくちゃ

そう思っていました。

なので癖になるほど勉強しようとしたり
ネットでサイトをみて今後こういうことをやればいいのか等と思いながら過ごしていました。

しかし、前の記事でも書いたように
体が思うように動かないのです。

すぐに回復できるだろう

そう思いながら頑張って最低限外に出られる格好をしてクリニックに通いました。

受付を済ませると予約時間より早く来てしまったためしばらく待ち時間があります。
椅子に座って待っていると様々な年齢性別問わず平日の昼間に受付しに来ていました。

この時ふとおもいました。

私はいつ通わなくてすむのか

かなりのご高齢の方も通われていて
もしかして一生治らないのかなとも思いました。

不安が高まり、気分が悪くなります。
こんなんで気分悪くなるんだ。前だったらこんなことで悩みさえしなかったのに。

と考えながら椅子に座りながら静かに耐えていました。お薬がないと困ると思ったからです。

やがて番号を呼ばれて診察室へ向かいます。

いつものように挨拶をして椅子に座ります。

数回通ってみて思ったのがここに座って私は何を話せばいいのか真っ白になってしまうことです。

話したいこと、相談したいことはいっぱいありまひた。
ですが、先生が優しく
「どうですか?」
「今週はどんな調子でしたか?」

と話すきっかけを、つくってくれているのに

「気分が悪いです。」
と、今の状態を話すこと以外何も話せないのです。

前より阿保になった気がするとか、
前よりネガティブに死に向き合うようになったとか
どうしたら元の生活ができるようになるかとか
今考えたらたくさんたくさんありました。

ところが話したいから口は開くのですが適切な言葉が出てこなくて
「えーと あの」
という言葉ばかりがでてきます。

なので先生も何を質問したらいいかわからないみたいで
「眠れてますか」
「ご飯は食べれてますか」
と、最低限の生活ができているかを聞かれます。

「夢をみたりして全く眠れないです」
「作ることもできずに水をのんでます」

人の目をみて話すことができていたのにその時は手元をいじりながらぼそぼそと話すことしかできませんでした。

では、と先生は次はもう少しリラックスできる薬を出しますね。睡眠薬も入眠しやすいように強めのものに切り替えます。と薬の調整の話だけになり
ではお大事に、との言葉で席をたつ

この繰り返しでした。

そして夜眠れなくなると悲しいことを考え始めます。幼少の頃から今までの人生のなかで自分的に辛いと感じたことだけを振り返るようになります。

そうすると、

「なぜ生きてるんだろう」
「もう使えない私は用済みだから死ななくてはいけない」
「皆が当たり前にできていることができないからもう私は不良品なんだ」

そう思い詰めるようになりました。

すごくすごく辛かったです。

眠れなくてネガティブなことを振り返り、考え、
死に方を検索し続けて気づいたら朝になっていた
というのはよくあることでした。

元々寝付きの良い方ではありませんでした。

物心ついたときから
子供が寝たと思っている両親が夜な夜な声を荒げて喧嘩しているのが筒抜けで自分が怒られているような気持ちになり辛かった記憶が残っており、
その捌け口が夜勉強ができないと殴られる、罵声がとぶということに繋がっていたため夜という時間帯が得意ではありませんでした。

そのため元々眠りは非常に浅く、若さでなんとか乗り越えていた部分がありました。

ただ、仕事をして疲弊してるなか残タスクがある、でも残業が増えると始末書を書かなければいけない、けど仕事は減らない。
効率よく仕事を終わらせられない自分が悪いんだと思ってしまい、睡眠時間を削り3~4時間PCを抱いて寝て起きて出社ギリギリまで仕事するという生活を送っていました。

そのためいよいよ睡眠障害というレベルにまでなりました。

とても辛い時期でした。

泣くに泣けず、ひたすら辛い記憶を呼び覚ましては死にたい、実行するためにはどうしたらいいんだろうと考える

一見したら、やばいやつだったとおもいます。
ただその時は本気で思っていました。

同じく、適応障害という診断で休職している友人がいました。その友人が休職する前まで遠距離だったので電話などで話を聞いたり相談に乗っていたり旅行にいっていたりしていたのでいい気分転換になってるのかなと思いました。

本人に実はわたしはこういう診断が出ていて、どうやって立ち直ったのかアドバイスがほしいと連絡をしました。

すると、既読スルーをされてしまうようになりました。

今ではもう答え合わせができませんが、
わたしが鬱だと告白したとたん、連絡がとれなくなったのです。

タイミングが悪かったのか関わりたくなかったのか今ではわかりません。

ですが、やっとの思いでうちあけたはずの相手に拒絶されてしまいとても悲しく思いました。
都合の良い友達だったんだとも思ってしまいました。

それ以来、人に打ち明ける事が怖くなりました。
普通のふりをしなければならないからです。

それがさらに悪化させることも知らずにここで頑張ってしまいました。

うつ初期~休みの間~

前回からの続きです。

今日は本当にPCから離れられる状態になってからの自分の気持ちと交えながら綴りたいと思います。

よく鬱になった方のsns発信を初期は拝見させていただいてました。
ただ、共通してあるのかなと思う気質として
・強迫されてるのかなと思うほど思い込みが激しくなってしまうという所
・生真面目すぎるところ
・共感性が高いところ
どこか皆さん持っていらっしゃるのかなと思いました。
※偉そうに聞こえたら申し訳ございません。
理解できるなと思うポイントが多いなと思ったため端的に記載させていただいております。

私も自分で言うのもなんですが、一般的には
生真面目といわれるタイプです。
近寄りがたいともいわれる根っこは陰キャと言われる部類に入る人間です。

小中高は生真面目というのは良いこととして捉えられると思いますが、社会は綺麗なことだけでは立ち回れないということを少しでもインターンやアルバイト含め社会人経験されている方であれば少なくとも痛感されていることだと思います。

まっさらな方ほど自分の許せる範囲というのは一定のラインがあってそれを越えるとストレスにかわってしまうのかなと思います。
そしてそういう方ほど真剣に仕事に取り組み、周りにも頼られ、期待され、自分ができる範囲をとっくに越えてそれでも頑張ってしまって心の声が聞こえなくなると思います。

鬱って言葉は楽でいいよね
とりあえず心療内科いけば鬱って診断もらえるからいいなぁ
鬱って仕事サボりたいだけなんじゃないの?
鬱ってよくわからないしめんどくさそうだから関わりたくない

こんな声をリアルでもネットでもよく上がってくるかなと思います。

鬱ってかからなければわからない

よく実体験を持っている方は皆さん言います。
わたしもそう思います。

ただ、これは鬱に限ったことではないかなとも考えています。
例えば、長く集中力が持たないとか忘れっぽいとかそういう性格と似たような特徴のひとつだと今は捉えています。

ただ、言えるのは想像力があるかないかで心ない何気ない発言がさらっと出てきちゃうんだと思います。

SNSをみたりyoutubeを見たりしていますが
病み顔メイク、メンヘラ、イタイヤツ
こういうワードが浸透していて
なにかと言えば皆の共通言語として使われているから軽く口に出して発言してしまっているのかなと思います。

SNSでネガティブな発言しているのはリアルで相談できない環境だから匿名の世界でしか吐き出せないのかもしれない。

眠れなくてクマだったり充血した目をごまかすために活かしたメイクをしたりそれを楽しんでいるのかもしれない。

自分をなんとか奮い立たせるために、その場に溶け込みたくて、周りから見ると空振っているようにみえてイタイヤツになってしまってるのかもしれない。

そんな想像力があってもいいのかなと、思います。

すごく完全体であることを求められる時代だなと
痛感しています。
でも皆どこかしら辛い思いをしてきているはずなのにどうして思いやりの優しい言葉、激励の言葉を配慮して発言できないんだろうと思ったりします。

もう少し色んな面をみて弱味を握るコミュニケーションじゃなくて良いところをたくさん見つけてあげられるようなコミュニケーションをとれる仕組みがあるといいなと思います。

話がそれてすみません。
鬱になって思ったのはまず期待していただいていた周囲からなんで?と疑問符を持たれて、遊びにいくことなら大丈夫でしょ?ともたくさんいわれました。頑張って事情を説明して連絡とって日にち決めたけど体調が悪くなって結果的にドタキャンになったときふざけんなとも言われたことがあったり。。
人としてドタキャンはダメだとも思います。
それはわたしが悪いです。

加えて、そういう状況の人で遊びにいくために準備をする、外に出る、人に会うというエネルギーがどれだけ必要なのか説明をしておけばよかったなとも反省しています。

ただ、相手に説明までして会うまでにここまで労力を使うことは当時できませんでした。
結果、そんな形になると人付き合いができなくなります。
私はひたすら薬をのんで頭の中がぐるぐる考え事で埋め尽くされながらただ横たわっている日々が続きました。

トイレにいくのですら、ご飯ももちろんろくに食べられなかったです。

独り暮らしなので医者から実家に帰ることを薦められましたがそんなことしたら悪化すると首を縦に頑としてふりませんでした。

親子関係については今度お話しします。

休む直前

こんにちは
閲覧いただきありがとうございます。

前の記事からの続きを書きますので
よかったらご覧下さい。

私は本格的に実質的な休みを取るまでに色々と知らなくて良いことまで知りました。

まず、会社付きの医者との面談
医者との面談の前に診断書を渡し、そして実物を見せた労務担当の顔がまたか、と曇っていました。
そして診断書を見ながら軽い面談が始まりました。
「いつから体調を崩していたのか」
「本当の労働時間はどれくらいだったのか」
「仕事は引き継ぎができそうか」
「いつぐらいに復帰できそうか」
「他に体調を崩して仕事している人を知っているか」
こんなような内容だったかと思います。

そして半年以上前から体調が徐々におかしくなっていったこと、本当の労働時間は土日も加味すると3桁は越えること、引き継ぎはフォローしながら上司やらわかりそうな仕事の先輩にできていると伝えました。

なんでもう復帰の話をされるのか全くわかりませんでした。
今、気持ち的にも身体も今までになくどん底にいるにも関わらず、目の前の面談という名の尋問は決して味方ではなくただ調査の一貫、それらしい対応をしたとログを残すための時間でしかありませんでした。
そして話の聞き方的にはいくつか既にそういった面談を設けた事がわかり、私以外にも体調がおかしくなり辞めていく、突如連絡がなくなるといったことがあったことがわかりました。
これは仕組み自体おかしい、会社が機能不全のまま無理やり会社を回しているのだと腹に落ちました。

その後医者と面談がありました。
その時が一番苦痛だったと今でも思います。
最初は何がきっかけだったか、身体的症状は何か、気持ちは今どんななのか、そんな内容だったと思います。そしてそれを形式的に聞いているのであって特にそれを会社側に報告しようともしていないのに気づきました。人の目を見て質問もせず、ボールペンをまっさらな紙の上でくるくる指遊びをして高層ビルの景色を見ながら欠伸をしていました。態度からこの時間は無駄だ、といわんばかりでした。

後日談として医者でさえも聞く気がない、目の前の人の話を聞かず、腹が立って会社に不信感を、もつきっかけになった。という話を辞めた複数人から聞きました。

会社の義務として、外側の見せ方として医者との面談が任意でできます、休みは取れますというのは必ずしも従業員のためを思っての仕組みではないのです。自分のみは自分で守らなければいけないということを身を削って知りました。


その後、直接メッセンジャーやら社内用のsnsを通して噂を聞いた友人やら自分の評価を気にする上司からメッセージが来ていましたが当然その頃には誰も信用できるはずがなく、ながめるだけで返信はしませんでした。