私の家庭環境

最初の頃は割りと普通だったのかなと思っていましたが、色々なゴタゴタがあったときに明らかになってきた時、私はギャグにしたいのにしきれなくなってしまっている状態になっていました。

両親の結婚は反対されて半ば駆け落ちみたいな形だったそうです。
その頃は順調にいっていたのかと思いきや
その頃の話を父が母に関して

養ってもらっているという感覚がない人だった
パートでも良いからやるべきだった

と話しているのを聞いて
家事もなーんにもやらない、やろうとしないできない人が偉そうに話しているのを聞いて赤子もいるのに家事も全部やれって違うと思うな
と思ったことがありました。

細かく書く事は避けますが、

父親は亭主関白そのものでした。
父親が家にいるときは気を遣う存在で、
スーパーに出掛けるときも可愛らしくおねだりなんかしません。買ってくださってありがとうございます感をちゃんと表現しないといけませんでした。
機嫌を損ねやすいからです。

会話も大学で独り暮らしになる前までほぼありませんでした。
向こうから話しかけてくることもなく
ただひたすら仕事を頑張って家では俺のお金で生活できてるんだと思え感を強くだす
そんな昔ながらの頑固親父といえば聞こえは良いですが何を考えてるのかわからない人でした。

仕事人間だったため大型連休で家族皆で遊びにいったという思い出は小学生の中学年くらいまではありました(年1でディズニーいくかいかないか)がそれ以降はほぼなかったです。
いくとしてもお互いの実家に挨拶しにいく程度でした。

残念なもので良い思い出もあったのかもしれませんが此方が気を遣って話しかけても会話になることはなく、母親の過剰な教育という名の体罰をしているときも助けを求めるように目線を合わせていたのですが無視されたことが何度もありました。
その時、このいえには誰も味方がいないと心が不安定になり毎日布団の中で声を圧し殺して泣いていました。

体罰を受けていた理由は問題を間違えたからです。
母親は熱心な教育ママでした。
何度もつまづいてしまうと苛立ちを隠さず、一問ミスをするごとにテーブルの角に私の頭を鷲掴みにして打ち付けるのです。

恐怖から間違えることはないだろうと思っていたのだろうと推測だけはできます。

ですがいくら怖くとも教えてくれる人が教える側にとってわかりやすく解説ができないのにどうミスを減らせというのでしょう?

これは小学生になる前からあった、習慣でした。

なので先生がいない時に代わりに誰にも聞けない環境で勉強をしなければいけなかったのが辛かった記憶です。

その時にいつも言われる言葉がありました。

あなたのためを想ってやってるの。
理解がとても遅くて本当に馬鹿なのね。
こんなんで大人になったらどうするの?

大人になったら私を助けてね

こんなワードが当たり前のように殴られながら罵倒されながら言われていました。

早く大人にならなくちゃ

当時はそう思いながらとにかく反復練習を自主学習で行いました。

小学生で誰が好きなのなどと話に華をさかせているときも下らないと常々思っていました。

常に心の中では孤独と戦っていました。
周囲では一問ミスをするごとに罵声を浴びることもなくのびのびと遊ぶことがあなたたちの仕事だというような大人や先生がいたからです。

いえの教育とは違い、当たり前だと思っていたものが異常だと気付きギャップに苦しみました。

できて当然を通すための努力をしないといけない

そう思うと心の底から友達と呼べるものはいなくなりました。

中高生時分もずっとそうでした。

私は私らしく生きるのではなく恩を返さなければいけないと思って必死に勉強しました。

しかし、必ずしも努力が実るわけでもなく100点をとることができないことの方が多かったです。

母親に提出すると100点ではないので常に責められました。
なぜこんな問題が解けないのか。
本当にどうしようもない馬鹿なのか
なぜ勉強をしてるのに馬鹿なのか
大して可愛げもないのにどう社会に出られるのか

本当にいえに帰っても心の油断で殴られるか
罵声を浴びるかのどちらかで

勉強しながら家事もやるのが女の仕事

という感覚が強く、勉強をしていても家事をやっていないとまた説教の繰り返しでした。

何度も何度も帰りたくなさすぎて泣いた記憶があります。
そして、体調を崩しがちになりました。

異常なほど頻尿になり、食事もあまり喉を通らず
頑張って食べてもすぐにもどしてしまう。

唯一面倒をみてくれていた祖母もあの子は可哀想だからといって手を差しのべてくれるわけではありませんでした。

先生にも相談しようと切れはしに伝えたいことを書いて面談の時に話したいと思っていると書きましたがスルーされてしまいました。

当時は頼れる大人には相談しようと頑張って行動したつもりでしたが誰もちゃんと介入してくれることはありませんでした。

ちゃんと私でいることを認めてくれる存在がいなかったため大学にいくまで見た目も心もコンプレックスの塊でした。

つらつらと書いてしまいましたがこんな環境でした。
それでどうなったかというとドライに相手はどんな考え方をもっているのかを見定める事が得意になりました。
大人なんて宛にならない、早く自立するか死ぬしかないという0か100思考になりました。


勿論私以上に特殊な環境の方もいらっしゃいますでしょうし可哀想アピールをしたいだけのために書いてるわけではないです。

ただ、受けた側は忘れられない傷になってそれが完璧主義者を生み出してしまう可能性もあると知ってほしいという想いで受けた側目線で書かせていただきました。