休職その4

とにかく辛かったのが夜眠れないことでした。
最初は薬が合わず、飲んでも眠気が全然来ない
また1週間我慢しなければならないことが何度かあり自分にあう薬にまでたどり着くことが大変でした。

そして初期に処方されていた抗うつ薬も全く私に合いませんでした。

拒否反応が体にありました。

体がだるく常に眠気があるけれどもうたた寝できるほどにはならないという症状と吐き気です。
残念ながら食欲もないのでトイレで吐きたくても出てくるものがないので終わりがない状況もあったりしました。

集中力も散漫になり(副交感神経を強制的に高めるためなので仕方ないですが)、大好きな読書ができなくなりました。

これはショックでした。

気分転換になることをやってみてください
リラックスする練習です。

と、医者に言われて溜まりにたまっている本を手にとって好きなだけ読むことができると思っていました。

しかし、一行目を何度も何度も往復しても頭に入ってこないのです。

今まではさささっと読んで情報が頭のなかに入ってきてなんなら頭のなかで映画のようにシーンが浮かび上がったりしていたのが一切できないのです。

そこに恐怖を感じました。

今までできていたことが、好きなことでさえもできなくなっているというところがいよいよ自分は疲れきってるんだなと実感した1つの瞬間でした。

さらに夜も眠れないとなると悪いことしか考えられなくなります。
考え方が元々ポジティブではありませんでしたが
より悪い方向に考えがちになってしまうことです。

検索すると必ずホットラインが出てきます。
ですが、本当に追い詰められてる時って時間外なので対応はしてくれません。

相談所として冷静に意見を求めたいと思っても
ライン相談窓口で相談内容をやっとの思いで送ったとしても混み合ってるので返せないです。との自動返信が来るだけでした。

メールでどう方針をたてたらいいのかそういった相談用の行政の窓口に連絡したこともあります。

1週間以上経過して返ってきたのは

お医者様にご相談ください。

要約するとその内容でした。長々と書いてあったので親身に書いてくださったのかと思ったら私が書いた内容をコピペしてそういう気持ちを抱えてらっしゃるんですねとだけ付け加えられてるだけでお相手からしたら膨大にくる似たり寄ったりなメール内容に返してるだけなのかもしれませんが
私にとってはここまで思い詰めて相談できる家族がいない私にとっては勇気を出した行動のひとつだったのでかなり落ち込みました。

そして本当に相談できる場所って限られてくるんだなと体感しました。

夜はひたすら眠れないのでヒーリングミュージックを流してみたり、友人からもらったお土産のキャンドルに火をつけてゆらゆら揺れる炎をボーッと見つめるというようなネットに溢れてる眠気を誘う方法はやってみました。

しかし眠れることはなかったです。

そんな時に母親から怒濤の不在着信が着ます。

また相手をしなければならないのか。
いつになったら解放してくれるのか
うんざりしていました。

ショートメッセージにも
仕事終わったら連絡して
今日はそっちにいくようがあるんだけどご飯食べに行かない?
返事しろ
返事しないなら押し掛けるぞ

という内容が呟きのように着ていました。

勿論、母親に現状を話す筈もなく

準備をもって電話に出ることにしました。

いつものように下らない父親の悪口を延々と聞かされ、果ては親戚や自分の兄弟からも批判されている私かわいそう演説を聞かされ続けていました。

怪しまれないよう8時から電話して3時間ずっと相づちを打たずマシンガントークを聞いてました。

聞いてるふりをすればいいじゃんというかたもいるかもしれません。
ですが、小さな頃から言うことを聞かないと恐ろしい事が待っていると染み付いた体がそんなのらりくらりと対応できるわけもなく

しかし、寝不足からくる少しだけ気持ちのゆらぎがでてきたので自分自身が内省すべきところがあるんじゃないかと説教じみたことをしてしまいました。

すると、ワッと怒号が飛びます。

お前のためにどれだけお金をかけてやったと思っているんだ
恩を仇で返すつもりか
お前も敵なのか
ならば裁判にかけてやる

ではなんのために私を産んだんだ
言うことを聞いてもらいたいために産んだのか
老後面倒を見てほしいから産んだのか

長年積み重なっている言葉をグッとこらえ罵声を浴び続けます。

そのあと必ず
ごめんねぇ○○を想って話してるのよ
いつまで一人暮らししてるの帰ってきてよ寂しいから
最近○○くらいお金かかって大変なのよなんとかならない?

という起伏の変化が著しいなと思うくらいのテンションで話を続けます。

結局4時間喋り倒し
機嫌よくまたねーと電話が終わります。

私は電話がやっと終わったと思いベッドに転がりました。
社会人になってからは経済的に自立して働いてました。そして此方の都合などお構いなしに喋りたいときに電話を突然してきては出られない出ないと厳しい言葉で追い詰めます。

なぜこんな関係性なのか次では家庭内環境、幼少の頃からの話をしたいと思います。